【論説】「副業をしても良い社会作る」は労働ディストピアの始まりじゃないか?

資料
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直近のニュースで、政治家の方が「副業してもいい社会作る」と発言したというのがありました。

この言葉を見た瞬間に湧いてきたモヤモヤを明文化してみました。

本サイトは「副業しよーぜ、仕事は楽しーよ」というスタンスですが、一方で政財界の無能を見ていると、その発言のメッセージとして「副業許すから(収入の)足んねー分は稼いでこい」と受け取りました。

長々と書いてますが、要点としては

  • 雇用側は労働リソースにお金を払わないのが状態化している
  • けれども、物価は上がり労働人口不足とかで給料を増やさなければならない
  • 今流行りの“副業”とやらを許すから、これで勘弁して

と言われたような気がして、そこら辺の説明をしている内容です。

なにかのついでがありましたらご一読いただけると幸いです。

2-job.com編集部

副業解禁、という甘言

「副業してもいい社会作る」が労働環境をディストピアにするのではないか?

「副業してもいい社会作る」

この言葉の背景を明確にし、目指す方向がより明確になるよう解像度を上げていかないとディストピア(※ユートピアの反対語、暗黒世界や地獄絵図ぐらいの意味で取ってください)のような労働環境が生まれると危惧しています。

この危惧の背景として、労働政策が労働リソースの最適化・最善化を目指すのではなく、事業家の都合に合わせた制度設計になっていることが本質的な一因です。

その結果、労働政策の無策と事業家の無能を労働者が一手に引き受け、そのしわ寄せを受けることにるるのではないかと考えています。

副業のライトサイド

そもそも、副業のメリットとしては、本業の他に自分の得意なことや、社会に貢献できることを行える点が挙げられます。
たとえば、本業の収入で生活を安定させながら、副業として自分の仕事を立ち上げることで、不安材料を最小化しつつ新しい挑戦をすることができます。

収入を補う副業

一方で、収入を補うための副業もあります。
これは、主にスポットワークなどが該当し、直近で不足する現金を確保するための手段として取り入れられます。
このような副業は、突発的な支出の補填としても機能していますが、本業の収入が不十分であったりという場合にも選ばれる手段です。

副業という言葉の本質をこう考える

「副業」という言葉には、「業」が入っています。

ここでの「業」は“仕事”や“生業”を指し、自分がどのようにして社会に関わるかを示していると考えています。

本業は社会的信用を担保するものであり、住宅ローンやクレジットカードの審査にも影響します。

では、副業とは何かというと、本業以外で社会と関わる能力を指していると考えます。

たとえば、絵を描く才能があればイラストレーター、文章を書く才能があればライター、近隣の地図や住宅図を把握していれば配達ドライバー、接客が得意であればショップ店員など、自分が得意とする分野で社会に貢献することを本業とは別に行うのが副業という働き方の楽しさであり、社会にとってのメリットであると考えています。

収入を補う副業の問題点は政治家・実業家の無策の押し付け

収入を補うための副業については、実業の失敗を労働者に押し付けた結果と見ています。

この考えの背景として、実業を行う事業家(回りくどい言い方してますが、会社と書くと伝わりにくいかと考えたので)は社会からリソースを調達し、それで利潤を出し還元するのが役割と考えています。

事業を行うためのお金であれば銀行や投資家、設備が必要であればリースしたり買い取ったりしてつかえるようにする、そしてそれらを動かす人は労働市場から調達するという流れです。

雑だけれどもシンプルにまとめると、こういう図式になると思います。

労働市場と実業家との関係

この、事業家と労働市場は経済状況によって関係が変わります。

世の中の経済状況が活況化すると、お金が事業家の手元に入り、労働市場から調達する量を増やすか、調達したリソースへの支払いを増やす(現実には少ないけど)なりができるようになります。
これが、採用増補やベースアップという動きです。

この状況では労働力は価値が高まっていて、労働力不足を補うための採用活動は活性化して、人手不足という状態になります。
合わせて、採用時の給料が上がったりもします。

また、労働市場が冷え込んでいる状態では、事業家は仕事が減り労働市場から調達する労働力を絞り込みます。
このときに、新規採用の見送りや、ボーナスなどの減額が発生します。
世の中がこの状態になると、労働力が余る状態になり、労働力の価値が下がります。
失業率が上がり、賃金カットなんかも発生する状態です。

労働者へのしわ寄せ

また、事業家は世の中に対して発生させる価値を最大化し、現金を調達した銀行には金利や元金の支払いをし、投資家へは配当を出し、設備調達のリース代や品物台を支払い、労働者へ給料を支払いといういくつもの支払いをし、発生させた価値と支払いとの差額を得る動きをしています。

語弊はありますが、簡単なモデルにしてしまうと、入ってきた売上金からいろんな支払いをして残ったお金が実業家のものになるという図式です。
実際にはこんな簡単ではないですし、お金が流れるフローも違うのですが、大枠はこんな感じかと思います。

さて、入ってきたお金の金額は動きません。
実業家が自分の収入を増やすのには、他の支払いを減らすしかありません。
ですが、銀行の支払いを止めると不渡りになり、設備のリース代を止めると設備が持っていかれてしまいます。
いちばん簡単なのは、労働力に対する支払いを抑えるということです。

これが、日本で20年以上続いている労働環境です。
合わせて、税金などの負担も直近20年だけを見ても急上昇をしています。

ということは、労働力に対して支払われる金額は対して伸びず、負担だけは増えており、実際につかえるお金が減っていっている状態です。

労働人口は減っている

なおかつ、日本は労働人口が減っているという状態にもなっており、事業家が労働市場画から労働力を調達しようとすると労働する人がいない状態になっています。
その条件では、賃金を増やすなりして調達をしなければいけないのですが、日本の労働環境は長らく労働力に対して支払いを渋っていました。

労働力と賃金は実は変動相場で、労働人口が減ると賃金を増やさないと労働リソースが手に入らないという簡単な事実を忘れてしまっているのです。

これは簡単な言葉にすると「その程度の給料じゃ人が来ない」という簡単なことになります。

その結果、事業家が何を考えたかというと、支払う賃金の代わりに副業をしている人を外部から呼び込み、人件費の固定化を避けつつ、人手の確保をするという方法でした。

つまり、いま事業家のもとで働いている人の手に渡るお金はそのままで、人手不足を補う方法を発案したのでした。

雇うなら非正規という発想

また、人に対してお金を流すという発想ができない実業家の動きは、税制と社会保障制度によっても人を雇わないという方向で強化されます。

税金は、人を雇い入れると社内の経理の仕事が増えるようにできています。
合わせて、年金は労働者と企業とで折半して支払うという制度で、労働者に振り込む金額が同じであれば、非正規のほうが手間も金銭的負担も少なくなっています。

副業をしている人に仕事を発注するのは、企業側から見ると非正規に発注しているのと差はありません。

つまりは、同じ労働リソースを安価に、なおかつ都合よく調達できるスキームとして宣伝されている、と私は受け取っています。

これは労働者側から見ると何を意味しているかというと、物価上昇局面で給料水準があまり上がらないと、ジリ貧の状況になります。
にも関わらず、実業家は給料を増やすために事業の構造を見直すのではなく、支払賃金の総額を変えずに労働市場から多くのリソースを得ようとしています。

雇われている状態であっても、物価は上がるのに給料はそのまま、副業であっても収入はさして違わず社会保険料を全額自分で支払うという状況が続いていくのです。

“企業の副業解禁”が持つ意味

繰り返しますが、企業が副業を解禁する背景には、労働者に対する支払いを抑えつつ人手不足を補うという意図を見て取っています。
副業をする人を外部から呼び込み、非正規として発注することで人に払うコストを抑えています。
これは労働者側にとっては物価上昇局面で給料が上がらないジリ貧の状態が固定化されてずっと続くという意味を指します。

労働政策の無策は労働から価値を奪う

副業をしている私達からすると発注してくれるクライアントが増えることは嬉しい限りなのですが、一方で社会状況として労働環境が良くなることがなく、制度に変更が加えられるにつれて、労働者の負担が増えていく傾向にあると受け取っています。

端的には、労働政策が無策に近いことで発生した不都合を労働市場にしわ寄せを押し付けた状況がさらに悪化してくと受け取っています。

結果、副業をする私達が置かれるのは、本業では得られない職業スキルの構築や、本業スキルの外部への展開といった建設的なものではなく、本業で足りない収入を本業以外の労働で補うという穴埋め的な理由になり、たくさんの仕事をしているのにもかかわらず、やっと生活水準を保つだけの収入を死守した、といった発展性のない結果しか生まない環境を作り出してしまうことと危惧しています。

副業解禁という言葉は貧困な労働市場の固定化を含んでいないか?

「企業の副業解禁」との言葉がどのまでの意味を含んでいるのか、私はその奥まで精緻に掴んではいませんが、ただ一つ考えたことは、今までの労働政策の延長線上で副業解禁というキーワードを乗っけただけれあれば、それは国民のほとんどを占める労働者の生活が貧しくなっていく未来への入口になろうということでした。

副業をしなくても良い社会が正常な社会です。

副業をするのは、副業をする人が自分が持っているリソースを社会に活かしたい、本業と違う職業風景を見たいという建設的なもの、そうでなくても、一時的な現金不足を補う、というのがあるべき姿と考えています。

物価上昇に対して賃金を用意できないので副業で補え、というのは労働政策を司る政治家の無策と、労働リソースで利潤を産まなければならない事業家の無能を労働者側に押し付ける、極めて低能な発想であると考えています。

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